神戸地方裁判所 昭和30年(行)49号 判決 1956年11月14日
原告 丸井幸次郎
被告 兵庫労働者災害補償保険審査会
主文
被告が昭和三十年九月二十三日なした原告の申立は認めないとの決定は、右眼閃輝性暗点に対する療養補償費の限度において、これを取消す。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを十分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告が昭和三十年九月二十三日原告に対してなした原告の申立は認めないとの決定は、これを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として原告は昭和三十年三月七日、訴外大日作業株式会社の常傭仲仕として、神戸港中突堤第二号上屋内において輸出貨物の積出作業中、その運搬していた箱の上部より板片が落下し、右眼窩下部に当つたため同部に打撲傷を受け、右眼に異常を覚えたので、翌八日神戸医科大学附属病院にて診察を受け、更に同月十日高橋重勝医師の診察を受けた結果、同医師より、右眼外傷性鞏膜炎、右眼閃輝性暗点、顏面神経痛と診断され、その後、翌四月十日急性結膜炎を併発し、その二週間経過後に点状角膜白斑と診断された。右外傷性鞏膜炎、右眼閃輝性暗点、顏面神経痛、点状角膜白斑は、いずれも前記打撲傷に起因し、業務上の事由による疾病であつて、右眼外傷性鞏膜炎は同年五月二十三日全治したが、その余の疾病は引き続き今なお治療を継続中である。そこで、原告は東神戸労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法(以下単に「労災法」と称略する)による保険給付を請求したところ、同署長は同年三月十日より同年五月二十三日までの療養補償、及び同年三月十四日までの休業補償のみを認める旨の決定をしたにとどまり、その後の休業補償並に障害補償は認めなかつた。よつて、原告はこれを不服として同年六月六日兵庫県労働基準局保険審査官に対し審査の請求をしたが、棄却されたので更に同年七月十三日被告に対し、同年五月二十四日以降の療養補償費、及び同年三月十五日以降の休業補償費の支給を求めるため、再審査の請求をしたところ、被告は同年九月二十三日請求の趣旨記載のような決定をなし、原告は翌二十四日該決定の通知を受けた。しかし被告のなした右決定には不服である。すなわち、前記疾病はいずれも業務上の事由によるものであり、鞏膜炎を除くその余の疾病は今日に至るもなお治療を継続中にして、原告は受傷後就業することができず、同年十月三十一日までは休業の要あるものであるからこれが療養補償並に休業補償をなすべきであり、かつまた前記疾病は眼瞼における運動障害及び視野狭窄を招いており、これは労災法第十二条第三号、同法施行規則別表第一の身体障害等級表第十二級に該当するから、これが障害補償決定をもなすべきであつたにも拘らず、これをしなかつた原決定を認容した本件決定は違法である。よつて、原告はこれが取消を求めるため本訴に及んだ次第である、と述べた。(立証省略)
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、原告がその主張の会社の常傭仲仕として、その主張の日時にその主張の場所において作業中、その主張のように板片がその主張の部位に落下して、同部に打撲傷を受けたこと、原告がその主張の日に神戸医科大学附属病院にて眼部の診察を受け、更にその主張の日に高橋医師の診察を受け、外傷性鞏膜炎、顏面神経痛と診断され、その後同医師より治療を受けたこと、右外傷性鞏膜炎はその主張の日に全治したこと、原告が東神戸労働基準監督署長に対し労災法による保険給付を請求したところ、同署長がその主張の期間の療養補償のみしたこと、原告がこれを不服として、その主張の日、兵庫県労働基準局保険審査官に対し、審査請求したが、棄却されたこと、原告が更にその主張の日、被告に対し、その主張の日以降の療養補償費、及び休業補償費の支給を求めるため再審査の請求をしたが、その主張の日に被告がその主張のような決定をなし、原告がその翌日該決定の通知を受けたことは認めるが、その余は争う。原告が前記附属病院にて診察を受けた際、両側陳旧性中心性網膜炎、瀰漫性表層角膜炎の症状がみられたが、右二症状は前記負傷に起因したものではなく、陳旧性のもので、処置によつても直に医療効果が期待しえられないものと診断された。原告は、これに納得せず、前記のように高橋医師の診察を受け、前記二症状の診断を受けたもので、これが外傷に基因し業務上の事由による疾病として、前記監督署長に対し、療養補償として昭和三十年三月十日より同年五月二十三日までの治療費金七、五八二円を、休養補償として同年三月十三日より同年四月二十日までの金一七、一八五円の請求をなした。右署長は、外傷性鞏膜炎は前記負傷に直接起因したものと認めなかつたが、その際或は異物が眼に入つたために発病したとも考えられるので、一応、業務上の事由によるものと認め、顏面神経痛については現症状及びその処置内容が明かでなく、その発病原因も判然としないので、業務上の事由による疾病とは認め難かつたが、療養補償費については、その処置料を鞏膜炎によるものと否との分離が困難であり、かつ労働者保護の見地から、原告の利益のため些か寛に失すると思われたが一応、請求金額の全額を支払つた。休業補償については、負傷当日より同年三月十四日までは、療養のため労働に服することが不能であると認めたが、原告は同年三月十日、十一日の両日就業して賃金の支払を受けていたので、その休業期間が七日以内となるため、労災法の規定により受給資格がないものとして、不支給の決定をした。原告はこれを不服として、昭和三十年六月六日に、同年五月二十四日付高橋医師の診断書を添付の上、前記保険審査官に対し審査請求をしたのであるが、保険審査官は、当時治療を要する原告の陳旧性中心性網膜炎は前記打撲傷に因るものではなく、他の素因によつて発病していたものが、前記附属病院における受診の際、たまたま発見せられたに過ぎず、又顏面神経痛についても外傷との因果関係が認められないのみならず、その症状については本人の主訴のみで、医学的に立証されていなかつたので、いずれも業務上の事由による疾病とは認めず、また業務上の事由によるものと考えられる外傷性鞏膜炎(同症は、瀰漫性表層角膜炎と同疾病と考えた。)は昭和三十年五月二十三日に全治し、同月二十四日以降の療養補償費の支給並に該疾病治療のためには、同年三月十五日以降の休業は必要がないものと認め、原告の審査請求を棄却したのである。そして、被告も右保険審査官の決定を支持し、原告の再審査請求を棄却した次第であつて被告のした決定には何らの瑕疵もない。と述べた。
(立証省略)
理由
原告が訴外大日作業株式会社の常傭仲仕として、昭和三十年三月七日神戸市中突堤第二号上屋内において、輸出貨物の積出作業中、その運搬していた箱の上部より板片が落下し、右眼窩下部に当つたため同部位に打撲傷を受けたこと、翌八日、神戸医科大学附属病院にて診察を受けた後、同月十日高橋医院にて高橋重勝医師の診察を受けたこと、原告が東神戸労働基準監督署長に対し、労災法による保険給付を請求したところ、同署長が同年三月十日より同年五月二十三日までの療養補償を認めたことは当事者間に争ない。原告本人の供述並に弁論の全趣旨によれば、同監督署長が、同月二十三日右補償決定をするとともに、負傷の翌日である同年三月八日より同月十四日までの七日のうち、原告が就業して賃金の支給を受けた同月十、十一日の二日を除き、残余の五日間の休業補償をなしたことを認めることができる。しかして、原告が右決定を不服として同年六月六日兵庫県労働基準局保険審査官に対し、審査請求をしたが、棄却されたこと(原告が同決定の通知を受けたのが、昭和三十年七月八日であることは成立に争のない甲第四号証の一により認めうる。)原告が更にこれを不服として、同年七月十三日被告に対し、同年五月二十四日以降の療養補償費及び同年三月十五日(甲第四号証の一には三月十四日以降とあるも十五日の誤記と認められる。)以降の休業補償費の支給を求めるため再審査の請求をしたが、同月二十三日棄却され、原告が翌二十四日該決定の通知を受けたことは当事者間に争がない。原告が右監督署長に対し、療養補償として昭和三十年三月十日より同年五月二十三日までの治療費金七、五二八円を、休業補償として同年三月十三日より同年四月二十日までの金一七、一八五円の請求をしたことは、原告の明かに争わないところであるから、これを自白したものと看做される。
原告は、更にその後の療養補償、休業補償、並に障害補償をすべきであつたと主張するから、以下に順次、判断する。
一、まず障害補償費について
原告は、被告は障害補償を認めなかつた原決定を維持したのは違法であると主張するが、当該行政庁が障害補償をなすべきかどうかは、被災者よりの障害補償の請求があつて始めて、これが請求の当否について審査し決定すべきものであるところ、原告が、監督署長、或は保険審査官に対し障害補償の請求をしたことについては、原告の何等主張、立証しないところである。したがつて原告において、右の請求をしていない以上、監督署長、及び保険審査官、並に被告が障害補償費について何等の判断もしなかつたとしても、それは当然の事理というべきである。しかも、前記当事者間に争のない原告が保険審査官の決定に不服であるとして、同年七月十三日被告に対し、同年五月二十四日以降の療養補償費、及び同年三月十四日以降の休業補償費の支給を求めて審査請求をしているにすぎない事実をも併せ考えると、原告は本訴において障害補償費を認容しないことを理由として本件決定の違法を主張するけれども、その対象となるべき行政処分、すなわち原告主張の障補害償費の請求に関する決定がないというべきであるから、原告の右主張は爾余の点につき判断するまでもなく理由がない。
二、療養補償費について
証人高橋重勝の証言によると、原告は、前記高橋医師により、昭和三十年三月十日右眼外傷性鞏膜炎、右眼閃輝性暗点、右眼瞼部顏面神経痛と診断され、その治療を受けていたが、同年四月十日更に瀰漫性表層角膜炎を併発し、それが間もなく治癒した後に、急性結膜炎により右眼点状角膜白斑と診断されたが、前記鞏膜炎は同年五月二十三日に全治したこと(右眼外傷性鞏膜炎、顏面神経痛と診断されたこと、右日時に鞏膜炎が全治したことは当事者間に争がない。)を認めることができる。
原告は昭和三十年五月二十四日以降の療養補償費の請求につき前記右眼閃輝性暗点、右眼瞼部顏面神経痛、点状角膜白斑は前記業務上の負傷に起因すると主張し、被告はこれを争うから考えてみるに、
(一) 右眼瞼部顏面神経痛、点状角膜白斑の二症状が前記負傷に起因するものである旨の原告の主張は、証人高橋重勝の証言、及び原告本人の供述を以てしても、これを認めることはできず、他にこれを認むべき証拠はない。もつとも、右顏面神経痛については、成立に争のない甲第四号証の三(診断書)によれば、高橋医師が昭和三十年七月十二日、同症は本件負傷直後より起つたものであるから、外傷性であるものと認めると診断したことを認めうるけれども、それは、前記高橋重勝の証言によると右症状は一般に外傷に起因することもあり、そうでないこともあるが、右診断当時被告人の言により一応その主張の外傷に因るものと推定したにすぎない趣旨であることが認められるので、右診断は前認定の支障とはならない。
(二) 右眼閃輝性暗点については、成立に争のない甲第四号証の二証人高橋重勝、同井街譲の証言により認めうる同症が機能的疾患で脳中枢による自覚的症状(他覚的には診断できない。)であるが、外傷によつて起る場合がある事実、及び原告本人の供述により認めうる原告が本件負傷以前は足場のあるところで作業に従事していたが、負傷以後は足場のないところでしか働けなくなつた事実とを綜合すれば、被告には右症状は本件負傷以前にはなく、本件負傷以後始めて同症状が起つたものと推定するのが相当である。前記井街譲、有沢武の各証言によつても右推定を左右するに足りない。他に右推定を覆すに足る証拠はない。すると、右閃輝性暗点は本件負傷、すなわち業務上の事由によるものと認めるのが相当である。
してみると、原告は、右眼閃輝性暗点につき、同年五月二十四日以降受けた治療に対する療養補償費の支給を受けうるものといわなければならない。
三、休業補償費について
前認定の外傷性鞏膜炎が、昭和三十年五月二十三日に全治したことは前記のように当事者間に争がない。したがつて、原告が業務上の事由により休業すべきかどうかは、昭和三十年五月二十三日までは右鞏膜炎と前記閃輝性暗点の二症状につき、同月二十四日以降は閃輝性暗点につき考慮されなければならないものというべきである。しかし、前顕甲第四号証の二によれば、閃輝性暗点は他覚症状のない神経の機能的疾患であるから、これによつて休養を要するかどうかを医学的に決定することが困難であることが窺われる。したがつて被告が、たとい、昭和三十年三月十五日以後休業したとしても、右症状に起因するものとは認められない。しかして、前記鞏膜炎により右三月十五日以降休業の要があつたことを認めうる資料はない。もつとも、成立に争のない甲第二号証によれば、高橋医師が昭和三十年十一月八日、右眼閃輝性暗点、顏面神経痛、点状角膜白斑、鞏膜炎(同年五月二十三日全治)により同年三月十日以降同年十月三十一日まで休業の要を認める旨の診断書を作成したことを認めることができるけれども、前記認定のように、顏面神経痛、点状角膜白斑は業務上の事由によるものとは認め難く、又三月十日以降原告が就業したことのあること亦さきに認定のとおりであるし、右診断書の記載自体を検討するに、鞏膜炎は昭和三十年五月二十三日治癒したと記載する一方、同年十月三十一日まで休業の要があると記載してあるところからも、右診断書(甲第二号証)では、原告の右主張を肯認できない。他に右主張を認めるに足る証拠はない。
以上の次第により、本件決定中、原告主張の療養補償費の請求を認容しなかつた点は違法というべきであるから、その限度においてのみこれを取消すのを相当とする。
よつて、原告の本訴請求は叙上認定の限度においてこれを相当として認容し、爾余の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 山内敏彦 尾鼻輝次 大西一夫)